今日は、今城塚古代歴史館の冬季企画展『安満遺跡と高槻城二の丸跡』が間もなく終わるので行ってきました。安満遺跡は弥生時代初期から後期まで続き、環濠がめぐる居住域と水田と墓域が揃った集落遺跡です。前期の赤色顔料が塗られた壺や中期の方形周濠墓に納められていた長頸壺など、特徴てきなのが出土していました。
高槻城二の丸跡は、今月2日に現説がありました。が行けなかったのでパネル展示や出土品などを見て、その様子を想像しました。
午後から、特別館長の講演会がありました。『猿と鵜の埴輪に見る鎮魂・狩猟儀礼』でした。
今城塚古墳の埴輪祭祀場に猿の埴輪?って見た事があったかしら?と、思って聞きました。脚の部分しか出ていませんが、大和小墓古墳から猿の体部と脚が出土していて、脚の形が似通っているので猿の脚とわかりました。

埴輪脚

また、常陸大日塚古墳の猿は上半身が出ていて子供を背負った跡がありました。猿女君は、殯宮での鎮魂儀礼に参画する母子猿。
鵜の埴輪は、今城塚古墳にも他の古墳の埴輪にも見かけます。鵜飼で御食の魚を捕えています。頸に紐を巻いています。止まり木にとまっているのは時を告げる雄の鶏で、しっぼに鈴が付いているのが鷹で、鷹匠の肩にとまっています。鳥の埴輪の見方でした。
終わってから、高槻城跡に行きました。国道171号に出て、途中の芥川沿いを歩き阪急高槻駅の東に出て、発掘現場を見れる場所に行きました。

城発掘現場

市の新文化施設建設場所の発掘調査で、こちら側はすでに基礎の工事が始まっていて、あちら側は発掘調査が行われていました。はっきり見えません。ぐるりと回ってから、しろあと歴史館へ行って、高槻城の絵図から創られた模型や見取り図などを見学しました。

高槻城図

和田惟正から高山右近、土岐定義、岡部宜勝の時代で城郭のほとんどが出来上がっています。永井直清が入城して永井家が幕末まで続きました。
現在は、地上に城の遺構が残されていませんが、絵図・文献や発掘調査でわかってきていました。
もっと知りたくなって高槻城講演録の本を買ってきました。